【映画レビュー】告白とは関係性の仕切り直しです【実写版『からかい上手の高木さん』ネタバレありレビュー】#永野芽郁 #高橋文哉
[音楽] 告白とは関係性の仕切り直しですという わけで先日はディスマンに表示されて大変 な目にあっちゃいましたがあ今回は最後 までですね正記を保って映画の感想を喋っ ていきたいと思いますえ今回ご紹介するの は山本宗一郎先生原作の漫画実写映画監督 を務めますのは何気ない日常をさりげなく 取ることに定評の実力派の今泉ア監督カカ 上手の高木さんですえこの映画ですね漫画 原作の映画なんですけれどもえカカジズの 高木さん有名な作品なのでご存知の方も 多いと思いますえ私は山本先生の作品だと それでも歩むは寄せてくるっていえこれ 将棋をちょっとテーマにしたラブコメなん ですけれどもこれしか読んだことがなかっ たんですねただこのカカ上手のさん何度か Xに流れてくる広告だったかな確か広告が きっかけでえ存在は知っていたしあとなん となくねこんな話なんだろうっていう イメージはあったんですけれども原作漫画 自体を読んだことはなくてそれでま今回の 実写映画化をきっかけにえとりあえず漫画 を一巻とあとアニメの第1シーズンを課金 して視聴しましたこの映画の感想をまず 話す前にですねその漫画原作アニメ原作え 小説原作そういった原作付きの実写映画化 に対するですねま私なりのスタンスという か考えについて話したいと思い ますま漫画原作小説原作アニメ原作 一まとめにま原作と表現した上でお話しし ますけれどもまず私の基本的なスタンスと しましてはこうした原作の実写映画化あり かなしかで言えばあ個人的にはありだと 思っていますありですねただありとは言っ てもですねじゃ何でもかんでも無接そに メディアミックスを言いわけに実写化すれ ばいいのかって言うと当然そんなことは なくてですねやっぱりそこには原作者 あるいは原作に対する一定のリスペクトっ ていうものが必要になってくると思い ますでこのリスペクトっていう部分につい てなんですけれどもこれ私個人としまして はですね原作の作りをそのまま実写映画化 して欲しいていう意味ではないんですよね まずそもそもですね原作と実写映画の1番 の違いって何かって言うとその表現媒体の 違いっていうのもあるんですけれど やっぱり1番の違いは情報量の違いって いうのがあると思いますこの世の中で最も 情報量の小さい原作って何かって言うと それは死なんですよねポエトリーなんです ねでその次に小説その次に漫画その次に アニメその次に舞台劇そして最も情報量の 多い作品が実写映画っていうことになる これが一般的な情報量の階層だと思うん ですけれどもやはり実写化をする上でです ねこの情報量の壁っていうのがま必ず立ち はかってきますよね漫画やアニメでは通じ ていたアシの嘘であったりお約束ごとで あったりとかそういうのって実は無意識の うちにですねま読者だっったり視聴者だっ たりの脳が矛盾しないように整合性を取る ようにうまいこと変換しているんですよ 人間の脳にはそういう機能があるんですね でそういう読み手側の脳をうまく働かせる ような嘘嘘を嘘だと気づかせないような 構造や手法を駆使している小説や漫画や アニメってやっぱり面白いものが多いと 思いますただこれが映像化されると情報量 がその桁違いに上がるわけですから原作で は通じていた嘘の理屈やお約束ごとをその まままま映像化した途端になんか安っぽく 見えたり稚拙に見えてきてしまうこれは 衣装とかま美術の部分もそうなんです けれどもあとは単純にお話の流れもそう ですしえキャラクターたちの言動っていう のもどこか現実ばりした違和感あるものに 見えてしまうなんでそんなことが起こる かって言うと情報量の差が歴然としている からなんですね例えるならですねこれは 小説原作の話になりますけれども小説には その教官を読むっていう表現がありますよ ねその文章の行と行の間にあるものを読 むっていうことなんですけれどもこれは つまりその描かれていないこと作者が あえて描かなかったことを読み手側が想像 するっていう作業のことを言うんです けれどもまこれって言い方を変えればです ねその文字では語られていない部分文字と いう小さな情報量では収まりきらない部分 を読み手側の脳が保管するっていうことだ と思うんですね小説原作の実写映画におい てはこの業界をですね何も考えずに平気な つらして埋めてくる傾向っていうのが大い にあると思うんですただそれは映画政策者 たちが埋めようと意識して埋めてい るっていうよりかはなんか取ると自然と そうなっちゃうっていうかそもそも映像の 持つ力が私たちが思っている以上に偉大 すぎるが故に起こる現象なんじゃないかと 思うんですね漫画を読む時も読者はコマと 駒の間の動きアクションっていうのを脳で 保管して読んでいるわけなんですけれども 実写映画だとそうもいかないわけですよだ から原作の実写映画化っていうのはまず そもそも難しいんですよねじゃ難しいのに なんでこんなに原作付きの実写映画化が あるかって言うとそれはこの国はメディア ミックスの力でコンテンツ産業を発展させ てきた歴史がありますから何かそういう 業界の根本の部分っていうのは変わらない 限りですねこの流れっていうのも変わら ないんじゃないかなと思います ねでそうした情報量の差っていう部分を 念頭に置くとですね原作を改変した実写 映画が出てくるのはこれはもうある程度 仕方ないことなんじゃないかなと思うん ですけれどもでもですね最初にも話しまし たように何でもかんでもいたずらに原作を 改変して実写化すればいいんだっていう わけではないんですよねそこに関係して くるのが原作に対するリスペクトだと思う んですが要するにこれって原作の角を ちゃんと拾った上で実写映画化してくれ よっていう意味だと思うん です原作ファンと呼ばれている人たちの中 で原作をそのままそっくり完璧に全く同じ 話の流れで作ってくれって言ってる人 おそらく少ないんじゃないかなと思うん ですね原作をリスペクトしろっておそらく そういうことを言ってるんじゃないんです よ必要なのは原作の格原作のコアを拾う ことコアとは何かって言うとこの作品の 面白さの定にあるものは何だろうとかそれ は物語の構造的な面白さなのかとか キャラクターの面白さなのかとかあるいは テーマ性の目新しさあるいは普遍性から 来る面白さなのかとかまこういった部分を しっかり考えた上でなぜ原作者はこの テーマをこの舞台でこの媒体で描こうとし たのかなぜこのドラマをこういう風に展開 させたんだろうかどうしてこの キャラクターが必要だったんだろうかこの 原作に使われている演出や義法そのまま 実写映画に使ってそれで原作の素晴らし さって表現できるのかもしできないんだと したら何か別の手段を使ってこの原作の良 さを映像作品として構成に残そううって いうねそういうなんていうか気骨というか ね着替が必要なんじゃないかなって思う んすよま私なんぞが言うのもおこがましい と思うんですけれどももしかしたらですね 原作漫画を実写化する違う媒体で表現する 時にまず必要になるのって広告宣伝費 いくらかけようとかキャスティングどう しようとかそういう話じゃなくてその原作 をですね批評することなんじゃないかなと 思うんすね批評って聞くと多分そば アレルギーよりも強いアレルギー反応を 示す人たくさんいると思うんですけれど 私自身はですね批評って全然抵抗ないと いうかむしろもっとするべきというかま そういう考えなんですけれどもつまり物語 を解体する作業だと思ってるんですね批評 って物語の構造や演出や登場キャラクター の意味だったりとかをどんどん解体して 明らかにしていくま解体と言ってもその 物語というのの巨大なビルをドカンと1発 で爆破買いたりするんじゃなくてま じっくり味わいながら解体していくという かそれに近いですねどちらかというとお 菓子の家の壁に使われているチョコレート を1つ1つ剥がして味わいながら食べて いく感覚に近いかなと思いますそれで たまに壁のチョコレートと床のクッキーを ダブルで食うとかえテーブルに使われて いるプリッツを挟んでしょっぱい甘い しょっぱい甘いの無限ループに突入すると かそういういろんな角度で物語をじっくり 解体していくとなぜ作者がこのテーマを この物語を使ってこのキャラクターに語ら せようとしたかっていうのがだんだん見え てくると思うんですねそこから原作の持つ 核原作の持つコアが見えてくるなので素な んですけれどもまず原作を実写化する上で 大事なのは原作を意味的に分解していく 作業だと思うんですよその工程を経ている であろう実写映画っていうのは原作ファン も喜ぶし原作を知らない世間一般の評価も 高いそういう傾向にあると思います直近で 言うとゴールデンカイがまさにそれだと 思いますねあの映画も実写化が発表された 時にやっぱりアレルギー反応を示す人 多かったと思うんですよところが実際に蓋 を開けてみれば原作ファンも大満足私の ような原作知らない人間も大満足いいこと づくしですねだから結論ですねこの原作の コアが拾えている実写映画に対しては私は もろ手をあげて賛同したいと思います原作 ファンやアニメファンがハッピーになる 実写映画家が本作カカ上手の高木さんに できているかって言うと正直なところ にわかの私にはあんまり分かりませんただ 本作が原作の漫画やアニメで描写されてい た西方と高木さんの関係性をそのまま 引き継いでいてなおかつその関係性を成立 させている日常的な要素っていうのも ちゃんと盛り込んでいるんじゃないかなっ て思います日常的な要素っていうのはこれ は私学校であると考えています の私から見ても原作人気を支えている1番 の要素が高木さんと西方の空かの描写空か を軸にしたやり取りの微笑ましさにあ るっていうことはわかりますこれが やっぱり読んでいてほっこりする気持ちに なるこの殺伐とした世界に生きる生馬の目 を抜くようなリアル世界を生きる私を初め とした多くの読者たちにとって原作漫画は 一の罪であるのと同時にノスタルジーも やっぱり感じさせてくれますねそれだけ 高木さんと西方の関係性は尊い関係性えい 関係性なんですけれどもそれがなぜ尊いの かえいのかっていうとこれは私は学校を 舞台にしているからだと思ったんですよね 学校っていうパブリックな場所学校って いうのはその公共性が保たれている場所 じゃないですかその公共 にプライベートなやり取りが限定される 学校という空間でクラスメイトたちの人目 を盗むようにして高木さんは西方をからい 西方は高木さんにからかい返しをしようと するっていうこういう描写が少なくとも 原作の一巻とアニメの第1シーズンを見た 限りではなかなか多かったんですよねこの 2人のプライベートなイチミションを学校 というパブリックな場所で行うことで まるで読者が高木さんと西方のやり取りを 見守っているような構図を獲得するのと 同時にですね高木さんと西方の曖昧な関係 性を生かすことにもつがっていると思い ますこのパブリックとプライベートな イチャイチのギャップが生み出す微笑まし さエモさっていうのがおららくほとんどの 人気学園ラブコメに当てはまることだとは 思うんですけれども原作のカカ上手の高木 さんはそのギャップの見せ方がやっぱり うまいなと思うんですね学校という パブリックな場所でクラスメイトたちの 視線を盗みながらイチャイチと プライベートなやり取りをする高木さんと 西方ま私さっきからイチイチっていう表現 使っていますけれどもおそらく 異論はないかと思いますだって誰がどう見 てもこんなのねイチャイチですからね本当 に可愛い2人だなと思いながら漫画読んで アニメ見てそういう風に感じたんです けれどもじゃあこの高木さんと西方の関係 性ってただのクラスメイトなのかって聞か れたらやっぱり違いますよね恋人なのかと 聞かれてもそれもどうだろうっていうなる し友人にしてはあやっぱりちょっとこの イチャイチドアが高すぎるとはっきりと 名言化することが難しいというかえ名言化 すること自体を原作レベルで避けている 感じがするんですけれどもこのはっきりし ない関係性を成り立たせているのがカカと いうパブリックとプライベートのちょうど 中間に位置するような曖昧なやり取りで あると思いますねこの空かという描写の何 が素晴らしいかって言うとプライベートな 部分に入りすぎないところですねこれ空か が相手のプライベートな領域に入りすぎて しまうと途端にいじりの構図になって しまうでそうしたいじりの構図に抵抗感を 抱く読者ってやっぱり多いと思うし何より もですね西方って女の子からいじりを 受けると多分こいつ本気で傷ついちゃうと 思うんですよそれ高木さんは分かっている から思いやりを込めてからをやるというか ねこの高木さんのからかいにムズムズする 読者が多いのはやっぱりそこに高木さんの 思いやりを感じているんじゃないかと思う んですね西方に対する愛情の返since というか高木さんにとってこれはですね 西方に向けているサインなんですよね からかっていうのはあなたのことを憎から ず思っているしなんなら好きですよって いうサインを高木さんはずと西方に送って いる要はずっと遠くから西方に向けて ウインクしているようなものなんです けれども西方はそれを見て高木さん目は 痒いのかなとか勘違いしているまこれは 例えですけれどねそういうパブリックな スペースにおけるプライベートなやり取り がコミュニケーションあるいは ディスコミュニケーションとして機能して いるそこに対する微笑ましさがやっぱり見 ている側をほっこりさせてくれるんじゃ ないかなと思いますね でこの微笑ましさ2人の関係性の微笑まし さっていうのがどうして強調されているの かなと言うとやっぱりその1番の理由は 中学生という設定そのものにあるのかもと 思うんですねパブリックとプライベートの 区別っていうのが子供の頃ってまだ曖昧だ からだと思うんですよ例えば電車の中で 友達とのおしりに花を咲かせて大声出し ちゃったり中学生っているじゃないですか まあ大人もやるんですけれどもやっぱり 中学生ってそういうことをやりがちという かねまだ自分がどういう大人になるのか 自覚しにくい青い春の時代だからこそ彼ら の講師近藤パブリックなスペースでの イチャイチっていうのがあるわけなんです けれどもこれはでも私たちの世界でもそう だと思うんですけれどもまよほどひどい ことをしない限りよほど何か法律に触れ ない限りそのイチャイチっぷ りっていうのはやっぱり大人たちから多め に見られるというかね微笑ましいなと 見逃される傾向にあるんじゃないかなって 思うんですよでもそれはあくまでも中学生 の話であってこれが本作実写版のように その中学時代から10年経って大人になり ましたってなるとやっぱり色々見ている側 としてはあれって首をかげたくなる気分に なってくると思うんですね動画をご視聴 いただいている皆様の中にもこの映画を見 てそういう気分になったっていう方もしか したらいらっしゃるんじゃないかなと思い ます高木さんと西方10年経って大人に なりましたで地元の学校の地元の中学校の 体育教師になった西方のところに教育自習 生として高木さんがやってくるもうあの頃 のような自分がどういう大人になるのか 分からない漠然とした未来に思いをはせて いる時代じゃないでもこの2人は未だに 10年経過して肉体は大人になったんだ けれども未だに中学生の時みたいな イチャイチ空かの関係性にあんじている しかも大人になって語彙力や思考の幅が 増えた分高木さんの西方に対する空かの バリエーションがさらに豊富になっいるん ですねその豊富な空かを見せつけられる うちに高まりゆくイチのレベル イチャイチャレベルアップイチャイチャ インフレが今回の映画では炸裂してい ますでこの高木さんと西方のイチャイチャ インフレを眺めているとなんだかその寿命 なこっぱずしさを抱いてしまう人も出て くると思いますこの2人が中学生から大人 に成長しててもなおそうした空かの関係性 にあんじている姿を見ているとなんかもう ケツからガムシロップ垂れ流す勢いでゲロ 甘すぎてもう耐えられないってなる人も 多いんじゃないかなと思いますそうした 感情の裏にあるものは高木さんも西方も いい年こいて何してるんだっていうそう いう呆れのようなものだと思うんですよ どうしてそういう呆れにも近い感情が 生まれるかって言うと私たちは大人になっ たら講師動は避けるべきだとパブリックと プライベートの分別はついて当然であ るっていう常識に縛られているからですね いい年こいた大人が学生の目を盗んで空 教室でイチャイチするなんて破レ地だって いう怒りとか不満を抱いてしまうのは我々 の日常がそうした常識に縛られているから ですねでも私は正直言うとこっぱずしさっ ていうのはまもちろんあったんですけれど もそれ以上に10年経過しても曖昧な関係 性を続けている高木さんと西方の姿に やっぱり微笑ましさを覚えましたねこれは もうね脚本がどうこっていうよりも キャスティングの大勝利だと思いますこれ は本当にこのキャスティングでないと全然 成立しない映画だと思います高さんを演じ た長野めさんそして西方役を演じた高橋文 さんもうばっちりですねはっきり言って 高木さんもですねやっぱりその10年経っ て大人になって西方に対して空かをやる時 にそこに色気だったりあざとさっていうの がやっぱ出すぎてしまうとちょっと原作の テイストから離れてしまうだけれどもこの 映画における長野メさんの演技って本当に そのギリギリのところを責めているという かねまこれはあくまでも男目線での感想な んで女性目線からしてみるとやっぱりこれ でもまだあざといという風に見えるかも しれないんですけれども個人的には やっぱり長野明衣さんが不思議な魅力を 放っていて基本的に今泉監督の作品ってま 大体そうなんですけれどこの女優さんって こんなに素晴らしい演技をしていたっけ なんか改めてその女優さんの魅力っていう ものに気づかされるそういう映画を今泉 監督は結構たくさん撮っていると思うん ですけれどもこの映画にもやっぱりそれは 感じましたしあとやっぱりこの衣装も 素晴らしかったですねこの映画衣装 スタッフは相当優秀だと思いますねあの チェックの入ったパンツに白いブラウスに 緑色のスカーフを首に巻いている姿その 緑色っていう今年のトレンドですけれども 大人になった高木さんいかにもこういう服 を来そうだよなっていうそういう感覚が あって非常にこれは衣装もいい映画でした ねであとやっぱり高橋文也さんもすごく 良かったですね不思議な魅力がありますよ ねこの方は仮面ライダー01で主役をやら れていた方ですけれどもその頃からなんか いい意味で変わってないというか定まら ない感じって言うんですか声の定まらない 感じっていうのがいかにもこの中学生と いうその大人と子供の狭にあるっていうか 子供から大人に肉体が変わろうとしている その年齢の子にありがちなこの定まらない 声の感じっていうのがその10年経って 大人になった西方にそれが見えてい るっていうのはやっぱりこの西方っていう キャラクターが10年経ってもその心って いう分では何1つ変わっていないんだなっ ていうのが分かるそういう演技をちゃんと されていてこれは本当に見事だと思いまし たねこの映画語る上でですねこの映画内に おける告白の持つ意味についても考えて いきたいですね劇中には小関さんと町田君 ていうですねその西方の受け持つクラスの 生徒が出てくるんですけれども中盤はこの 2人の関係性にフォーカスつ高さんと西方 の関係性の結末に対する責にもなってい ますね関さんは町田君に告白したことが 原因で町田君が学校に来れなくなったと 考えていて一方の告白された側である町田 君は小関さんの気持ちをどう受け止めれば いいのかわからなくて不登校になっている 多分これですね人によってはしもなて感じ だと思うんですでも私はちょっとわか るっていうかこれは勝手な妄想かもしれ ないんですけれども今の若い人達てこう いう感性の子こういう町田君みたいな感性 の子こういう大関さんみたいな感性の子 もしかしたらいるんじゃないかなって思う んですよね町田君は小関さんからの告白を 暴力になぞられていましたけれどこれは クラスメイトっていうパブリックな関係性 を気づいていた相手がいきなりあなたの ことが好きですと告白してくることで プライベートな領域に入ってきてしまった ことに対する苛立ちと驚きから来ている 表現だと思うんですね私も中学時代に ちょっと似たような経験があって今まで ずっとクラスメイトとして接してきた 女の子がなんかいきなり好きですって言っ た言ってきたことがあるんですよそれは もちろん嬉しいんですよもちろん嬉しいん ですけれどもちょっといきなり プライベートな領域に突っ込みすぎじゃ ないかっていう驚きだったり戸惑いの方が やっぱりあったのもこれも事実なんです そうした自分が受けた感情を正当化するの に暴力っていう極端な表現を使うところが いかにも背伸びしがちな中学生にありがち な言い回しとして機能していると思うし かつて似たような経験をした私からして みれば 全然くだらなくなんてないんですねでこの 2人の関係性をやっぱり今泉監督が さりげなく取っているっていうのもいい ですねこの日常をさりげなく取 るっていうのが今泉監督の特徴ですが普通 の監督なら生見すぎて大業な演技をつけ たりするんじゃないかなっていうような 部分も等身台の中学生の表現レベルに抑え ていてそれも良かったですねあとは関さん と町田君がですね学校の廊下で話す時に初 の構図で取ることによって2人の間に若干 の親愛関係が見えてくるっていのもうまい ですねこれが正面で話すような構図になる とこれ対決の構図になってしまうんで関係 性が壊れてしまうそういう予感が出て しまうし横に並んで話す形になると連帯の 構図になるのでちょっと親密すぎるそう いうことを考えるとこのハ迎の構図って いうのが小関さんの気持ちを自分なりに 咀嚼してあげようとする町田君とそんな 町田君に対して彼のプライベートな領域に 無理やり入っていくんじゃなくてちょっと 見守るようなスタンスを取る小関さんとの 関係性っていうのを的確に表現していると 思い ますでこの告白っていうのは冒頭にも話し ましたけれども私は関係性の仕切り直しだ と思っています仕切り直しの効果が生きて くるかどうかっていうのは男女のそれまで の関係性の強度によると思うんですねよく 友達以上恋人未満っていう表現があります けれどもこうした曖昧な関係性を持つ ダンジョンにこそ告白は仕切り直しの意味 を強く持つはっきりさせようぜってこと ですね私たちの僕たちのこの曖昧な関係性 もうそろそろいい加減させようぜってこと なんですね曖昧な関係性っていうのは確か にそれだけで心地よさがありますよね 私たち観客からしてもそしておそらくは 原作ファンからしてもこの高木さんと西方 の相な関係性にある種の憧れだったり 心地よさを感じている方きっと多いと思う んですこの映画は結末のところでその曖昧 な関係性に決着をつつけるんですが おそらくこの映画が避難されるとするなら 1番はそこだと思うんですねでもこの映画 が伝えようとしていることを考えればこれ は当然の結末なのかなと思いますしだから こそここで告白の持つ仕切り直しの力って いうのが生きてくると思うんですねその 仕切り直しが起こることでどうなるかって 言うとこれは告白した相手が告白された側 にとって一時的に他人になるということ ですね曖昧な関係性心地いい関係性を 仕切り直すわけですからそこではお互いが 一旦距離を取ってお互いの関係性という ものを客観的に見つめるような仕草が出て くるいい加減に曖昧な関係性に蹴りを つけようと相手のプライベートな領域に 告白という形を借りて踏み込んだ時ほんの 一瞬なんだけれども完全な他者化っていう のがそこでは行われるわけですねこのほの 一瞬ですねつまりこの映画で言うと映画の ラストの方ですね高木さんが西方に向ける 表情あるいは西方が高木さんに向ける表情 が他人のそれになるっていうそれがこの 映画ではきちんと描写されていると感じ ました私たちの日常っていうのは常に他人 に囲まれているわけですからどんなに 親しい相手でもそこに一瞬出てくる他人と しての表情を描くことが日常を描くことに つがるとおそらく今泉監督は考えているん じゃないかなと思いますなのでこの映画は このラストの西方から高木さんへの告白 高木さんから西方への告白に物語のピーク を持ってきている構造になっていると思い ますそしてなぜそれがつまり物語のの ピークがピークとして機能できている かって言うと今泉監督が得意とする長回し が効果的に働いているからというのもある んですけれどもやはりこの映画の前半から 中盤にかけて描かれていた高木さんと西方 の曖昧な関係性の描写あるいはそれより前 つまり映画家よりずっと前原作漫画や アニメで描かれていたカカの関係性が下地 になっているかからですねこのラストの 告白のシーンは中学校という多な時期に 曖昧な関係性を2人が結んでいたからこそ 成立すると思うんですよそしてその曖昧な 関係性の間を流れる日常の時間は大人に なってもなを流れていくっていう描写が この映画の中ではなされていますそのこと 自体はこの映画では否定はしていないん ですねけれど曖昧な関係性は確確かに心地 いいんだけれどもそこから一歩お互いの プライベートな領域に踏み込んでみても いいんじゃないかとも言っている告白は 確かに一時的に相手を親しい人ではなくて 1人の人間として客観視させる他人として 扱うことになるしそこでお互いの本心と いうものが荒になって傷つくことがあるか もしれないけれどでもそれが日常なんじゃ ないかっていう話になっているからかい 上手の高木さんでそうしたことを描写する 意味があるのか原作を使わなくても表現 できるじゃないかっていう意見もおそらく あるんだろうなとは思いますけれども私は やっぱりこのお互いのプライベートな領域 に踏み込んでみてもいいんじゃないかって いう問いかけを成立させるためには長年 曖昧な関係性を結んできた高木さんと西方 こそふさわしいというかむしろこの原作で なきゃ描き出せないことなんじゃないかな と思いますし何よりやはりこの映画は今泉 監督だからこそ成立している映画だと思い ますしその今泉監督の演技プランに従って ちゃんとその高木さん10年後の高木さん 10年後の西方を演じていた長野めさん 高橋文也さんは本当に素晴らしいと思い ますねまだから総合するととても私は満足 しました原作に勢の私でも楽しめたんでま 今泉監督のファンの方あるいは長野メさん のファンの方も当然楽しめると思いますし おそらくですがどうでしょう実際にこの 映画をご覧になられた原作ファンの中でえ この実写映画面白かったかどうかえどうか ご自由にですねこの動画のコメント欄にえ おかきいただければ幸いですということで え今回の映画レビューは以上にしたいと 思いますえここまで長々とご視聴いただき まして誠にありがとうございました以上 裏切り産子でした
1:25 漫画やアニメの実写化の是非について
10:49 感想本編
公式サイト
https://takagi3-movie.jp/
———————-
ウラギリ・サンゴと申します。
普段はネットで自作小説を書いたり映画のレビュー集を書いてます。
〇小説家になろう
https://mypage.syosetu.com/451894/
〇カクヨム
https://kakuyomu.jp/users/UragiliNovel
X(旧Twitter)やってます!好きな映画やアニメ、趣味の小説執筆について呟いています。
Tweets by UragiLi35
Filmarksはコチラ
https://filmarks.com/users/UragiLi35
———————-
#映画レビュー #からかい上手の高木さん #永野芽郁