【BS11】偉人・敗北からの教訓「第48回 シリーズ秀吉② 四国攻めと長宗我部元親」2024年6月8日放送分見逃し配信
[音楽] 偶然の勝利はあれども敗北は全て 必然日本の歴史を彩った偉人たちはいかに して破れていったのかその裏にはどんな 原因と謝があったの か今回はシリーズ秀吉に破れた武将たち第 2弾四国攻めに屈した元の敗北をきます のみならず四国全土をほぼ制覇したものの 天と秀吉には歯が立たず 屈服元に対抗手段はなかったの か破れし者たちの失敗から学ぶ人生 哲学偉人敗北からの教訓 [音楽] 歴史場の偉人たちの失敗から私たちは何を 学ぶの か偉人敗北からの教訓進行役の中西百です そして歴史作家の伊藤さんですよろしくお 願いしますよろしくお願いしますシリーズ 秀吉に破れた武将たちということで前回は ビチ高松城の戦いでのモ照本の敗北を 取り上げましたけれどもまやっぱり秀吉 ううななこのには勝てないなというの感じ ましたよねうんま秀吉という人間はですね 本当に人の上に立つためには何でもする男 なんですよで若い頃からですね相当屈辱を 味わって新参をなめてきたと思うんですよ ねで武士の世界でですね角荒す法っていう のをですね学んでいったからこそ天日とに なれたんではないかと思いますよねさあ第 2弾となる今回は こちら秀吉の四国平線に食した部元の敗北 に注目していきたいと思いますはいま長 本地といえばもうわずか1台で四国を ほとんど制覇したことで知られています けれども藤さんはこの元のどんなところが 優秀だったと思われますか実はですねひわ と呼ばれるほど大人しい少年だったらしい んですよあ子供の頃はええ子供の頃はえ それがですね晩年もですねしとしとという ですね議語を疲れるほどですね口数が 少ない穏やか人物だったんですねとしとと いうのはえこれはですねゆっくり話をする という意味で物静かで慎重な人物だったと いうこと言われてますよねじゃちょっと アラム者のイメージとは違いますよね違い ますよねもう隣国を次々と制覇していく アラブ大名ではなくてですね立木第一イギ の人と呼ばれるほどですね同盟相手を大切 にしえ四国のですね国人たちを参加に収め ていったんですねまそんな元がままで退し たことがないようなま秀吉と退治しなくて はいけなくなるということでまたちょっと 状況が変わってきますよねまこれ大変な ことですよねま秀吉してのはご存知の通り ですねあの信長の異業を丸々引き継いだ 添加人ですからですから元としてはですね ま非常にプレッシャー感じたと思うんです よねさあ今回は秀吉に屈した本地の敗北を 紐解きながら現代にも通じる教訓を探って いき ますまずは地と はどん関係にあったのかこちらをご覧 ください元にとって豊秀吉はいかなる存在 だったの か年齢は元が秀吉の2歳下でほぼ同時代を 行きまし た1539年土佐の国現在のに生まれたは 22歳でを積むとの国たとの戦いに 乗り出し ますそして1575年37歳にして土佐 統一を成し遂げましたその頃秀吉は織田 信長の下として長野久ヶ原で武田軍と戦っ ていまし た元は次なる目標を四国統一に [音楽] 定めの進行を開始し ますしかしこれにマッタをかける人物が 現れまし た織田信長 [音楽] です信長は四国に保先を向けますがその 矢先本寺の編が起こり押しし ます主君の死をビチ高松城の戦いの中に 知った秀吉は照本とを結ぶと を本を起した明秀を下します地は中央権の 混乱に常時隣国への進行を進め念願の四国 制覇をほぼ達成しまし たところが信長の後継者となり天下統一を 目指す秀吉がこれを黙認するはずがあり ませんでし たそしてに軍を送りますいわゆる四国平線 です元は必死に応戦しますが屈服せざを得 ませんでし た元敗北の瞬間 です元はなぜ秀吉との戦いに破れ真住する 道を選んだのでしょう か今回は四国の覇王となる道を立たれた元 の敗北に迫り ますさあここで本地と秀吉に関連する主な 出来事を見ていきたいと思いますはいま年 の差が2歳ということでま同年代ですよね うんはい2人がお互いを意識するように なったのはどの時点だっったと思わますか そうですねあの秀吉は安の国の漁師の三義 安永を支援する立場だったんですよこれ 信長にもちろん従ってですねで大井の秀を 安永に用させほどとは緊密な関係を気いて いたんですねえその一方 え元の方はですね明光秀で強い関係を 気づいていたわけですねええですから双方 のですね政治的立場はですね初めから違っ ていたつまりえ敵対関係にあったという ことだったんですね秀吉と直接あったこと というのはなかったくなかったしノー マークだったと思うんですよね敵として マークはしてたけどえ信長のねのショと しか見てなかったんではないでしょうかね じゃあその秀吉のまそういう上手さとか手 さみたいなもの実感できるチャンスが本地 にはなかったのかもしれないですよねなか うんまあでもこの本地ですけど1台でま佐 を統一したもこれだけでもすごいと思った んですけどさらにその四国全体を統一 しようという風にさらに目標大きくする じゃないですかこれはなぜそういう風に なっていったと思いますかうんこの四国 いうのは非常に岳が多くてですねあの結構 それぞれのま盆地みたいなものが確実し てるんですねですからえま個々の少量種 っていうのが閣manyしやすいそういう え地形だったんですよま土佐の統一から阿 さきイへと目標を広げていったんではない かなと思うんですよねでよくま現代社会で もま成功者となった企業家とかからですね 最初から大きな目標を持ってたっていう風 によくそういった方々って言うんですけど 実はですねえ小さな目標を1ずつ達成して え最終的に大きな目標に挑んだというのが え本音の部分なんです ね秀吉が四国統一を目指す元と直接 向き合う前にはいかなる出来事があったの でしょうか土佐の国州から一刻のアジ そしてさらなる野望の実現へと邁進する 本地の歩みをご覧 ください元はいかにして天日と秀吉と 向き合うことになったのか 高知県南国市にあった五城で生まれた元は 長部市の整水について記した軍の土佐物語 によると体操美少年だったと言い ます元は生まれつき背が高く色白で入で あった業師は見事で優れてい [音楽] た最の研究に氏に関する書籍を多数執筆 する平井さんは少年時代の元についてこう 話し ます引きこもり引きこもり言ったら変です けどもまなんかこう家臣とかとあっても なんかほとんど喋らずににっこりするだけ みたいなちょっと姫様みたいなみたいな ことでひわっていう風に呼ばれていたと ありに 大人しくとされた元はこんな問しを不安に させたとも伝えられてい ます私は槍のつき方を知らぬので教えて ほしい槍というものは敵の目をつくものと 心え られよこれに対し長現投手長部智さんは 独自の見解を示し ますうちの先祖も の名が多いんですよだから 実際槍の使い方を知らないなんてことは ないと思うんでわざと同けてやった かということではないかと思い ますここ若宮八幡宮で戦勝祈願をした元は 土佐七の1つに数えられた元山市との戦い に望み22歳で見事無人を飾り ますうちの殿そ大丈夫かなっていう風に 思われてたらしいんですけれども意外と その戦争の敵の様子もよく見ていて手代を 埋まったりということをやったので ちょっと無口だけどうちの殿様は結構 大したもんだという風に見直されたって いう風にやっぱり書かれてますねま おそらく引きこもってそういう本とかを 読んで勉強するというかですね研究すると いうかそういうことやっていたのかな 以来元は土佐の出来と仰がれるようになっ たと言われてい ますこの時期父国地をなくし家を継いだ元 は戦によって消失した土佐一宮にあたる 土佐神社の最高に着車しある目標に向かい ます土佐統一 ですそれあやの 代々 上の教を守るためにも何正解の主と憧れ たいとやはり思ったからだと思い ます元は父の大からの宿敵である元山市を 始め各地の国を下し15年をかけて佐統一 を成し遂げると望を抱き ます四国統一 です元はその障害をなくすべくある人物に 接近しまし た長の下原の戦いで武田軍を撃破し中央 政権の盤を固めていた小田の です元は裁の縁をたどり明秀を返して長と やり取りをしたの です織田豊政権に詳しい大田さんは元は 信長に霊を尽くしたと言い ます信長の大好きな高用のタを送ったりね あるいはえ四国特産のま砂糖みたいなを 送ったりしてま言ってみれば信長の関心を 買いながら信長には接して ます一方信長 はま自分のハカのようなつもりでいたと 思いますだからえどうぞ四国切り取り自由 ですよみたいなそんなま主上も与えてるの はやっぱりある程度長都会も本地のま力量 を信長が認めていた証拠だと思い ます元は信長から信の樹を賜った着男に 野地と名乗らせるなど信長と硬い信頼関係 を築き 四国統一のつきを得まし たさらに四国に睨みを聞かせる中国地方の 大大名モ照本とも進行を深め敵対する礼を 立ちまし た元はハ西武に一時伊と佐木に隣接する 交通の要白地城を四国統一の拠点として 勢力拡大にみ ますしかし元の手法は信長のように強引な ものではなかったと言い ます高知県立歴史民族資料官には長都氏に 関する文具や資料が数多く展示されてい [音楽] ますこちらは四国統一を進める元が国州に 当てた所場です とにもかにもご協力くださるとのこと誠に 嬉しく思い ますこの戦が思い通りに行けば相応のご 主業を調整いたし ますやっぱり信長秀吉は割と上から目線な ところがあるのでまそれに比べても やっぱり調査壁は丁寧なやり取りをしてる かなと思いますね 元の所場からは オご地業コなど同名者を敬う恩の文字を 多様し戦いを極力避けようとする様子が 伺え ますこうして元が勢力を広めていくと何者 かが信長に警戒を促しまし た元は最極に並びない弓取なので今後天下 統一の妨げになりかねませ [音楽] んある人物を 返し信長に周囲を呼びかけたと思われる ものと はやっぱり秀吉じゃないです か秀吉には信長の心で四国政策を任されて いたに対する妬みがあり信長に方針転換を 迫ったのではないかというの ですサラリーマンで言ったら光秀が最高の 出世頭 でしょうやっぱりそれに対して秀吉も競争 心を持ってたと私思い ますを受けた信長はは元の切り取り次第と した前言を返しあさきを上するよう求め まし たま信長からすればなんかこう俺のおかげ だろうみたいな思ってのかもしんないです けどね実際ね信長援護派遣してくれると わけじゃないですから ね四国は私の力で切り取ったものです信長 様の恩義は受けておりませ ん思いもよらないせを聞いて まし抵抗する元に対し信長は酒から三南信 を総大将とする正当軍を送ると決断しまし たところがその大言が海を渡ろうとした まさにその 矢先本のの変が起きるの です信長の死により織田軍は撤退を余儀 なくされました かなりほっとしたとは思うんですが同時に 多分かなり困惑したんじゃないかな明智 光秀を窓口として散々織田政権とやり取り をしてきたって言って光秀が信が殺しまし たっていう連絡が来たのでえっていう感じ だったんじゃないかな一方モリとの戦いの さ中に主君の死を知った秀吉は大急ぎで 機内に 戻り光秀を下すと信長の継者となるべく 新たな戦いへと踏み出します その戦いに元も巻き込まれ秀吉と敵する ことになるの です戦国部将の中にもこんな穏やかな タイプの人がいたんだなというのが結構 新鮮な感じですねうんそうですねやっぱ あの三子の魂100までて言葉にある通り ですねまあの人間の基本的な質っていうの は大人になっても大して変わらないもんな んですね元ですけどま信長との向き合い方 にもちょっと注目していきたいんですけど あの信長にこう四国統一を許されたのに 結局手のひら返しであのま否定されて しまうじゃないですかはいえこの 手のひら返しってやっぱり信長にねなんか こう誰かが何か言ったとかきっかけがある ような気がしますよねここで歴史作家なら ではの視点で歴史の裏側を考察する伊藤の 界ポイント これはおそらく中国ではなくて信長はです ね家臣たちに分け与える両国が将来不足 すると予測してたと思うんですよねうん 特に機内に近い四国にはですね息子の信孝 や秀吉また光秀のような自分にを裏切ら ないま結局三で裏切るんですけどそういっ たここのシンを置きたかったんではないか なと思うんですよねうんただま本寺の編で あの四国攻めが中止になったということで 元結構ほっとしたとはえ え説はいはいまあの信長の四国政策という のがこう信長の気分じゃないか分かるが ないですけど転換しますよねこの政策の 転換で最も面目を潰されたっていうのは 光秀なんですよねえでこの光秀がそれに いかって本のの編を起こしたっていう説が 非常にま最近小田に叫ばれてるわけですよ ね私個人的にはですねそれもあるんです それだけではない複合的な要因と秀の精神 的な問題えこれによって本寺の変が起こさ れたという風に思ってますも信長が 亡くなった時点では本地がまさか秀吉が こんなスピードでこう対当してく るっていうのはちょっと想像できていたん でしょうかねいや難しかったと思いますね まあのコイにしているね光秀が山崎の戦い でえ秀吉に破れてしまったというのはま 本当に元にとっては本当痛恨時だったと 思うんですよねえそれでもですよまさか 秀吉が小竹の天下を散々して天下人になる と思いもしなかったんじゃないでしょうか ねよせぬ事態に遭遇した時判断ミスをする と命取りになりかねません負の連鎖を 断ち切るには正しい選択が肝心です ぞ本能寺の変の後信長の後継者として 駆け上がっていく秀吉見る見るうちに勢力 を広げつい国に先をけますその時元がった 行動とは敗北までのカウントダウンをご覧 ください天美と信長が手し中央の局が大 混乱に陥ったのを後期と捉えた元 は本寺の編からわずか3ヶ月で阿のほぼ 全域を閉し ますしかしその地には秀吉もをばいまし た徳島市にある上六 寺ここに当時の混沌とした情勢を伺わせる 顧問所が残されてい ますこちらは本寺の変が起きた年に元が 住職の交代を認めた所場 です一方こちらは翌年上六寺の求めに応じ 秀吉が送った金星と呼ばれる門上 です自らの軍勢に対し寺に言いがかりを つけてはいけない乱暴狼藉や放火をしては いけないなど禁止事故を記してい ます徳島市教育委員会の宮城さんは秀吉の 金星には不審な点があると言い ますそうですね当時は調速系による泡の 支配がなされてた時代転生11年発給の 門上ですのでまそういった時代背景がある 中でえまだ泡に進行していないえ豊臣型に え門上金星の発酵を依頼して出された文助 っていうのが非常にあの違和感のある ところだと思い ます上六寺は元と秀吉を両天秤にかけてい たのか ませ秀吉は混乱にじて動揺する川の力に 接近 し元を牽制しようとしたとも考えられるの です対する元はある人物と手を結び ます小の重心柴田勝 ですしかしの継者争いから始まった戦に 勝利したのは秀吉でし たこんなに早く終わると思ってなかったん じゃないかなっていうやっぱりこう何ヶ月 とか何年とかも勝派と秀吉が戦ってでそれ によってこう大田政権がバラバラになっ ちゃうよう なでそんな中で自分がうまいこと生き延び ていこうということを考えてたんじゃない かなと思うの で抱いたは慌てて秀吉に交渉を願い出ます 納得できるギリギリの線 でアとさきを放棄するその代わりイの支配 を認めて ほしいしかし秀吉はこの申し出を拒みまし たその信長の一種を自分が継ぐんだという ねそういう思いでえ信長がやろうとした ことを戦してえ進めたのが秀吉というね 武将 です秀吉との駆け引きが続く中元に再び チャンスが訪れ ます五岳の家督を継いだ信勝と秀吉が対立 し家康を巻き込んだ一大活線が勃発したの ですき長くての戦いです 元は信勝家康と同盟を結び打秀吉を目指し ますどにとってはね最大の チャンスだったと思います よ康川 から都会してくださいともう大阪を背後 からついてくださいっていうような要求は かなりしていたんだろうとでま当然もそれ をしてたんじゃないかなと思います ねしかし元は瀬戸内会を渡るために不可欠 な重要拠点の確保に手間取り援軍を送る ことができませ ん一方秀吉は安の反長壁勢力に老や武器を 送り元を牽制し ます戦を強いられる元にきせぬ一方が 飛び込みました ノブカスと家康が秀吉と和木したという 知らせでし た元の選択はまたもやう ラメはご外されたような気分じゃないかな と同盟者としてやってきたのに気づいたら こう勝手に仲しちゃった とさらにかつて鹿と同盟関係にあった 秀吉と正式にし ます元はまさに面そとなりまし [音楽] たそれでも元は医西部の国州を抑え込み 自らが目標とした四国制覇をほぼ達成し まし た目の前でというやばいのがいるので かなり勢力広げたなとかってこうなんか 安心してられるような感じではなかったん じゃないかなと思いますけど ね秀吉の脅威をひしひしと感じた元は四国 全土の支配を断念し再び交渉を持ちかけ ますアとさきを活用する実を人質に出す昨 な信淵を大阪に送り秀吉に方向させる 本地 のかなりの大きな情報だったのかなって いうところです ね本地にとってどうしても譲れなかったの が故郷土佐と国高が高く瀬戸内水運の拠点 でもあるイオの安藤でした しかし秀吉としてはもうイオはうんモとの 関係から言っても層壁に任すわけにはいか ないというねそういう強い思いがあったと 思います 秀吉は鹿の提案を突き返しまし た土佐以外の3か国は壁が奪い取ったのだ その3か国を差し出さねば軍を使わして長 元の首を 跳ねるこれに元もめき立ち ます天下の軍と戦えるとは無の本で あいやそれは人生 の最大 の悪と戦う と多いじゃないですか家臣たちをこうなん とか振り立たせるために口では痛ましい こと言いながらある程度こう手ごわい抵抗 し つつこう僕の道を探るみたいなのがま鹿の 戦略だったのか なは白に兵を引き入れ迎撃体を取りまし たついに秀吉の四国平成線が始まりまし た秀吉の弟秀永を大所とする総勢10万を 超える政党軍の本体がパへと乗り込み ます同時に佐に軍怒涛の攻撃を開始しまし た対する長壁軍は最大 4万長壁方の所場はまに落とされ元の本人 白地条も攻撃される形となりまし [音楽] たこの間秀吉は帝の最高である白に就任し たため四国攻めは単なる大名の争いでは なく天下平線と位置付けられまし たそれでもなお元は徹底光線を訴え ますおめおめと関白の軍門にくってはカの 上に恥を塗るようなもの だしかし選曲を冷静に見つめる家臣がいめ ます 髪型の兵士は武具も新しく馬は大きく勢い も盛 です四国の武者は小さな土佐駒に乗り鎧も ほれ髪型と対抗できるものは見当たりませ ぬ元はこの家臣を罵倒し切public まで迫りました が獣心たちからも強く説得されたため ついに腹を固めました ア佐木イの参か国を活 せよ元は秀吉の戦条件を受け入れその軍門 に下りまし た元無念の敗北 です佐一刻が安さ れのはまかれたもの の四国の投資者になるという元の夢は天日 と秀吉の前のったの ですまたた1台で四国のもうほとんど収め られそうなところまで来てえここで秀吉に 下らないといけないのっていうその悔しさ はすごく伝わってきますよねいや無念だっ たでしょうねまあの秀吉が天下人となる 決定的な戦いはやはりあの静武の戦いでね えあの柴田活を破ったっていうことになる と思いますけどま小田診断の崩壊がこれ だけ早いとはもう元ならずとも誰も思わ なかったんですねああそうでしょねえま そういった機内の情勢というのがですね なかなか四国に伝わんなかったということ も本地の判断ミスをねえ招いたんではない かなと思うんですよねうん本地側からイを 絶対守らなくてはいけない理由というのは 何かあったんですか土佐の国守ることでも ですねやはりイオの国があるとないと じゃあ安全保障上も全然違いますからね ですからイオの国を抑えておけば非常にえ ま防衛という面でもですねえメリットが あったんですけどね秀吉のお気に入りのま モ県にいるあの小高かがいるじゃないです かも小高かがですねイオの領有を秀吉 願い出ていたんですねああそれまぜですか まあの森市の対岸ですよね内会のそうする と森が瀬戸内の西側の攻撃を独占できると いうメリットがありますよねあそれだけお 互い譲れないポイントだったということ ですそうねまそしてあの軍記物の中では 四国を攻めてくる豊富軍に元がこう有毛に 立ち向かう姿が描かれているようなんです けれども実際のところこの戦というのは どんなものだったんでしょうねうんまあの 総大将にねあの秀吉の弟の秀永を示して 6万の大軍引きさせてるでもですねの軍を ですね四国に上陸させたということで 10万の軍勢ですよもうこれ最初から相手 にならなかったわけですよねねうんただね やはりあのま泡やさきを抑えたということ もあってですね元としてはそういったとこ に家臣を送り込んでるわけですよで家臣の えま所領ってのがあるわけですよねで戦う ずしてえ秀吉に屈服してしまってお前ら 帰ってこいと元の元の普通の侍ですよね あまり土地もない侍に戻すと言われても やっぱりね家臣としてちょっとそそんな わけに行かないと思うじゃないですか一旦 もらったもの返さなきゃなんないとかね理 不尽だとですからこの戦い自体元は気乗り していなかったんだけどやっぱ家臣たちに 突き上げられてやったんじゃないかなって 私は思ってるんですよね元がこう秀吉に 幸福するタイミングってまいくつかあった かなとは思うんですけどまあそこがもう 裁量の選択だったんでしょうかねいやもう 進行されちゃってますからね逆に言えば 土佐1刻でもアンドしてもらったって すごいメカもなんですよあ確かにそれは 思いましたうん思ったでしょだって法城士 なんて滅ぼされてるわけですよ ええ命があれば必ず挽回するチャンスが 巡ってきます失敗を経験した後こそ生きる 姿勢や考え方が問われるものです [音楽] よ秀吉に屈服し再び土佐一刻のアとなった 元彼はその後どのような道のりを歩んだで の年の姿をご覧 ください秀吉に新し佐1国の大名に逆戻り した元は殺の島や相の法城との戦いに参加 し秀吉の天下統一事業を支え ます元は秀吉の指示のも建中を行い両国 経営にも尽力しました 1つの国にま4年間とかかけてかなり 細かく測量しているっていうことで自分の 国をしっかりちゃんと支配しつつ秀吉にも うまく従いつつっていう形でま新たな 生き残りというか調査壁が今後も続いて いけるようにってい風にやっていたんじゃ ないかなと思います ねさらに鹿は長壁百貨城と呼ばれる分国法 も定めました そこには手合の多い土佐ならではの項目 も上のものも下のものも大酒を禁止する 酔った上での罪は軽いものは罰金三観重い ものは生馬とし人を傷つけたものは残と [音楽] する元もまた特有の危害と豪快さを 合わせ持っていまし た長家の末裔友さんがそれを物語る逸話を 話してくれまし たクジ1匹ねまほ生きたまま ねいで運ん で大阪城に持ち込んだとだからあの時吉 はやだと思っかもしれない けど大阪の住民はびっくりした となんと土佐で生鳥にしたクジを700人 の領主や妊婦と共に大阪城まで運び秀吉に 献上したというの ですクジ丸ながらの贈り物は前代未も なりこれくらいなことは土佐の人間は やるよと土佐人はやるよということを秀に はやっぱり見せつけたかったんじゃないか と思うんです よ秀吉に進化の霊を取ってからは一貫して 従順な態度を示した元ですが彼が本来 目指したものとは何だったのでしょう か戦国時代の武将たちが何もねみんがみん 対を狙ったわけじゃなくておそらくま 例えば伊達政宗の場合だといわゆる欧州王 で調査壁の場合は四国王それぞれの地域 ごとの独立国家みたいなのを作ろうとした それを秀吉がいやいやそうじゃないよ日本 全体が1つだよということでま全国統一 天下統一に動き出したそれに抗おうとした のが私は長都壁本地まいわゆる四国4カ国 を統一してその王になるというつもりでい たそれが実際のとこでしょう ね元は秀吉が亡くなった翌年後を負うよう にその生涯を終えまし たかつて同盟を結んだ家康が関ヶ原の戦い に勝利したのはさらにその翌年のことでし た もし元がもう少し長生きしてい たら歴史のロマンはつきませ んま秀吉に屈したことはますごく元にとっ て悔しい出来事だったとは思うんですけど その晩年の過ごし方を見ているとま決して こ腐らずに目の前のやれることを頑張って いるなっていうなんかその姿はなんと言う んでしょうすごくま共感できると言います かまあの豊大名になってからの土地かって いうのは非常に従順なんですよねで秀吉の 要請に応じて九州抜や小田原抜などにも 出平していますはいまおそらくですねえ 晩年はもう土佐一国の両国当時にま自分の 活動を見出したんではないでしょうかね ただ元はあのま期待していたあの着なん ですよね九州の戦いの時にあのなくなって しまったんですよねはいはいはいうんこれ がですねやはりへがの戦いという島州の 戦いでですね長南の信淵を失ってしまった ことでもかなり気落ちしたというに書いて んですねま生きていても楽しみがなくなっ たと言ったぐらいですねがっくりした つまりもこのえ元塚と信近っての非常に 親子がですね仲良くたのでま元塚も信近に 期待してるところ大だったということが こっから分かりますよねその後のその長都 壁系というのはどうなっていったん でしょうかはいこの後ですね4なのえ森地 という人が継ぐんですねえところがまあの この後関の戦いがすぐあるんですけどその 時に森地はですねま出平するんですよ軍側 として出平するんですねえところがご存知 の通り関ヶ原あっという間にこの戦い 終わってしまって戦わずして四国に戻って しまうんですね戦わずして四国に戻りえ イアの天下になってイアスから海域を申し 出されるということだったんですねあに なったんです海になったん ですこの後は伊藤が描くアナザー スーリーだけでは語れないもう1つの物語 伊藤さんが描くアナザー ストーリーもし元がこき長くての戦いに 援軍を送っていたらどうなっていたの かまあの元塚がですね細長くての戦いに 関与していたらつまりえ瀬戸内が超えてい たらですねえま言安ぐは勝ったかもしれ ませんけど元あのモリ氏にイとか土佐を 責められたかもしれないですよねただそう いったことがなくてえもし元塚の援護が うまくいってえ康がですね信勝と共にです ね秀吉に対して条件闘争で有利な形でえ 収まったということは考えられるわけです よねえそれそれだけですねもしイアの勝利 に本地が貢献していたら後々のですね 関ヶ原の戦いの時に森地が英軍として参加 してえ戦わずして四国に戻ってしまうん ですけどその時にえ土佐1国ぐらいはま いいかつってええアンドしてくれた可能性 はあると思い ますそして秀吉の四国生物に屈した本地の 敗北から学ぶべき人生の教訓をお願いし ますはいこれはですね時代の移り変わりを 読む目を養うということですねでま戦国 時代も末期に至るとですねえ領域勢力が 撤去する時代ではなくなってきてやっぱ 天下政権の登場というのが待たれるように なってくるわけですよえあの例えば大名 ごとにえを設けられるとですね商人たちは いちいちそこで石善を取られて商品を遠く に運べば運ぶだけえコスト高くなっちゃう んですよねそうですねそのモチベーション がなくなるわけですよねですから統一政権 の誕生というのはまもちろん秀吉の野心も あったんでしょうけどそれよりも経済面 から必要だったわけですね一方ですね やっぱり元地というのはえ最後までま領域 勢力にこだわってるんですよえこれはです ねま九州の大名たちやあの関東の法条士も そうなんで決して元を攻められないんです けどえそういった意味で時代を見る目をえ 誤ってしまったということが言えると思う んです ね視野を広く持ち時代の変化をしっかりと 読み取るそうすればチャンスを物にできる 可能性も高まるはずです よこれぞ長部元の敗北から学ぶ教訓 ですその時代の移り変わりを敏感に察知 する能力っていうすごく大切なんだなと 思うんですけどでも本当にその秀吉自身の 野心というよりももう世の中全体がその 求めていたっていうその天下統一であっ たりとかそういうまとまった政権みたいな ものそこにこうなんかついていけない時代 遅れになってしまったっていうなんかその 元地のま残念な部分でもありただまあいう 四国っていうこう島じゃないですかあの中 にいてなかなかそれをこう敏感にうんね察 するって難しかったんじゃないかなという のも思うんですよねうんそうですねあの 統一政権の必要性というのは各領域勢力が ま統一席が出来上がって日吉の転換になっ てから価値が分かってくるわけですああ 後々分かってくるっていだから本当に 先読みするのってとても難しいことです いや難しいですよねそれができていた人が まある意味天下を取ったりとかはいこう のし上がっていくのかなっていうのがよく わかりましたもちろんですはい斎藤さん 今日もありがとうございました 偉人敗北からの教訓それではまた次回お 会いしましょう [音楽]
3週連続で送るシリーズ秀吉に敗れた武将たち。第2回は、秀吉の四国攻めに屈した長宗我部元親の敗北から現代に通じる教訓を探る。秀吉より2歳年下の元親は長篠・設楽原の戦いが行われた1575年に土佐を統一。次なる目標を四国統一に定め、阿波、讃岐、伊予への侵攻を開始するが、織田信長に睨まれる。信長が元親を討つべく、四国に大軍を送ろうとしたその矢先、本能寺の変が勃発。元親は九死に一生を得る。
秀吉が賤ヶ岳の戦いを制し、信長の後継者となると、やがて、小牧・長久手の戦いが勃発。元親は織田信雄、徳川家康と同盟を結び、秀吉に対抗するが、突如、二人が秀吉と和睦し、元親は四面楚歌となる。それでも、元親は当初の野望を果たすべく邁進し、四国制覇をほぼ達成するが、その直後、秀吉が四国に大軍を送り、元親は屈服せざるを得なかった。元親はなぜ、秀吉との戦いに敗れ、臣従する道を選んだのか?
土佐一国の大名に逆戻りした元親は秀吉の天下統一事業を支える一方、検地を行い、分国法を定めるなど、領国経営にも尽力。土佐特有の豪快さと律義さを併せ持っていた元親には、秀吉に生きた鯨を献上するという仰天エピソードも!秀吉が亡くなった翌年、後を追うようにその生涯を終えた元親。関ヶ原の戦いが勃発したのはさらに、その翌年のことだった。もし、元親が小牧・長久手の戦いに援軍を送っていたら、どうなっていたのか?
(2024年6月8日放送の期間限定見逃し配信です。)
#BS11 #豊臣秀吉 #長宗我部元親 #土佐 #四国 #室町時代 #安土桃山時代 #江戸時代 #平安時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年6月8日~7月1日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
※4月から放送時間が変更になりました。
番組公式HP:https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
【BS11+ 公式Instagram】
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23件のコメント
秀吉は信長と光秀に楔打ち込んで信長を本能寺に誘い込む
計画的だと思う
今回の長宗我部氏のことで信長は光秀とギクシャクする
秀吉が信長に長宗我部氏のこと吹き込む
それで信長は光秀とギクッする
信長と光秀に楔を打ち込んだ秀吉は信長親子を本能寺に誘い込む
計画的だなっ
そして嫡男信親を失って暴君になる元親。
その根源は秀久と直接赴かなかった秀吉だと思います。
現在でも「お家」が残ってるなら勝ち組でしょう
長曾我部元親像は傑作だと思うよ。北の政宗像に対して南の元親像。
なぜかって。剛の全体像のなかに顔の表情が優しい。
強さと優しさを兼ね備えているから。一度見に行きたい。
まじで生き甲斐の番組です…一生続けて欲しいです‼︎‼︎
長宗我部元親の選択がことごとく裏目に出てしまったのですね。四国にいると情報もつかみにくかったのかなと
しかし、結果として豊臣家は滅び、長宗我部は生き残るとはね~
四国は地理的に不利だな。
信親を失ってからは 猜疑心が強まり名君とは呼べないからな…🤔 関ヶ原まで生存していても 正しい判断が出来たかは微妙…😓
光秀の重臣、斉藤氏が、長宗我部氏と縁戚とか聞きます😮
元親さん、人として尊敬できるところが多いし、良くできた愛する息子をろくでもないことで失うなど同情しかない
対する秀吉は人たらしなんて言われることもあるが全く好きになれない
現当主の方も穏やかそうな整った顔立ちで、元親さん一族の美形ぶりが想像できました
自分は(関西人ということもあってw)、家康よりも秀吉、政宗よりも元親なのだが、
秀吉と元親はよく似てる。
一番は息子を溺愛して(失って)碌でもない人間に落ちぶれた事だと思う。
あれだけの英傑が落ちぶれてしまう。そこに人間らしさを見る。教えがある。
伊東先生のご解説、いつもありがとうございます😊
島左近のお墓の検証が始まりましたが、明智光秀の生存説とか、著名人は、洋の東西を問わず生存説がつきまといます。チンギス・ハーンの直系の王女・スチンカンルは、1980年代まで生き延びましたが。😮
信長や秀吉より早く生まれていれば四国制覇も出来たかもしれない。
改易された後、盛親は寺子屋の先生になり、大坂の陣では牢人五人衆の一人になった。
40:44 改易の原因は家臣・久武親直の讒言から盛親が兄の津野親忠を殺害したためとも盛親は元から土佐を没収される代わりに「御堪忍分」という形で替地を与えられる予定であり、盛親の上洛はそれに応じたものの、接収時に国替えに不満な家臣や吉良・津野などの遺臣一領具足が国元で浦戸一揆を引き起こし、その責任を問われ「御堪忍分」の支給を反故にされ改易という形になったともある。いずれにせよ大名としての長宗我部家はここに終わったと言える。
家臣も有能です
本当いい番組や٩( ᐛ )و
高知県民って龍馬ばかりで長宗我部はあまり語らんよね。
センゴクの元親親子超かっこいいんだよな
長宗我部家はつくづく信親の死が悔やまれるね
本人を見て模写したわけじゃ無いだろうけど色んな秀吉の顔が全部違い過ぎて全て影武者に見える