UR LIFESTYLE COLLEGE 源 孝志 監督 2026 2 22 最新作、映画「木挽町のあだ討ち」 ナビゲーター 吉岡里帆

番組ホームページには詳しい内容が載っています。
https://www.j-wave.co.jp/original/lscollege/260222.html
0:00 直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した永井紗耶子さんの小説を映画化した作品で、
8:56 人生は夢だらけ / 椎名林檎
12:02 源 監督ご自身のこと
19:44 ライフスタイル

2件のコメント

  1. 宝暦7年(1757)に采女が原に小屋掛けし亡くなるまでの2年間講釈師として活動していたのが馬場文耕です。江戸名所図会が描かれた頃より20年が経過しており馬場の規模も縮小されていました。それに伴い小屋掛けの店も少なくなっていました。それでも依然として豆蔵や浄瑠璃の小屋は残っていました。文耕の講談の小屋もその一つだったのでしょう。

    馬場文耕は享保3年(1718)に伊予の国に生まれました。浪人をやめて出家して僧籍に入ったこともありました。その後還俗して江戸へ出てきて日本橋の松島町(現日本橋人形町)に住み馬場文耕と名乗り講釈師となりました。彼は学ぶ意欲にあふれ記憶力に優れた人だったのでしょう。古典、仏典、漢籍などをはじめ雑学が豊富で様々な著書も著しました。しかし、本の内容は文耕自身の好き嫌いや毒舌が目立つものだったようです。

    采女が原での講談では当時もてはやされた心学(善を修め心を正しくすることを説いた、平易な実践道徳の教え)を風刺し、怒った心学者が文耕に論争をふっかけたけれど打ち勝つものがいなかったので評判が高まり、小屋は満員になりました。

    文耕は普通の家の広間を借りて夜講を開くこともありました。彼にとって人生最大で最後の大事件が起きたのは宝暦8年(1758)日本橋榑正(くれまさ)町(現日本橋3丁目)小間物問屋文蔵という商人の家での夜講でのことでした。

    この日文耕は「珍説森の雫」と題して講談を行いました。内容は美濃国郡上藩で起こった郡上一揆についてでした。年貢の増税に対しての農民蜂起が公儀高官の不正収賄にまで発展し、一揆をおこした農民だけでなく藩主金森頼錦(よりかね)、幕府の勘定奉行、老中なども処罰された大事件です。藩主金森頼錦の名前から金森騒動ともよばれました。

    文耕はこの事件を『平仮名森の雫』と題する草紙にまとめていました。この本をもとに講談を行うということで南町奉行所から同心が講談会場に潜入していました。この時点で郡上一揆の裁判は審議中の段階で結審していませんでした。それなのに公判の予測をし法廷の密議まで想像しあたかも結果を暗示するかのような本を書くことはけしからんという理由での潜入捜査でした。

    この日の聴衆は200人余り。講談が終わり聴衆が解散した後文耕は控え所にてお茶を飲んでいました。奉行所の同心が「御用」と声をかけ縄をかけようとしました。文耕が逃げも隠れもしないから食事を食べ終わるまで待てと言うと、それを聞いた同心が乱心気違いかと暴言を吐きました。各々こそ狂気者と見受けたりと嘲笑い自若として縄打たれたと伝えられています(同心と文耕の発言は『馬場文耕集』のまま)。その後の奉行所の取り調べに対しても悪びれず政道批判をしました。本や講談の内容だけだったら遠島ですんだかもしれないものを法廷での言動により市中引き回しの上打ち首獄門になってしまったとのことです。采女が原で講談をはじめて2年。享年41歳。講釈師としては異例の重罪だったようです。

  2. 源監督大好きです
    京都人密かな楽しみの最初からのファンです
    その後も好きなドラマの作者や脚本などに何度も源さんの名前を発見しました
    言葉が拙くて上手く言えませんが
    こんなセンスの良い人がいるんだ
    という発見続きです
    今回も源監督の名前を発見して
    是非見たいと思いました
    期待以上でした
    これからも楽しみにしています

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